2014年9月6日土曜日



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「なんかね、最近すごく楽しいの!」
「なんでー?」


渋谷のスクランブル交差点を渡り、あの手この手の話術で客を呼び込もうとする客引き兄さんをするりと抜けて、大衆居酒屋の座和民に腰を落ち着かせた。 個室とうたっているものの、実質的にはカーテンで区切られただけの半個室となっていた。 しかし、休日にも関わらず、すぐに入れるということで案内してもらい、生ぬるい温度のおてふきと湿りきった枝豆を届けてもらった。 目の前の、一緒にお酒を飲んでいる子は、ほとんどジュースと変わらないカルーアミルクを最初の一杯目に注文して、それをちょびちょび飲みながら意気揚々と話を始めた。


「だって、外国人の彼氏に、付き合って数ヶ月で結婚申し込まれて、断ったら振られて、数日後にもう一度付き合って欲しいって言われたから承諾したのに、その数週間後には浮気されたとか、スゴイ楽しい話じゃない!?」


この子は、紙の上に一本の線をずずずっと引いたくらいに細長い眼をして笑っていた。 これを満面の笑みというのだろうと心の中で思った。 他の席を見渡すと、男4と女5人の合コンらしい席を見つけた。 彼らは皆、髪に過度な程の色を入れ、笑い声でやり取りをしているかのような会話をしている。 男の服装は、洗濯機で洗いすぎて襟元がよれよれになってしまった服、女の方は羞恥心を人生のどこかに置き忘れてきたのかと思わせるほど肌が露出した服を纏っていた。


「それ、一般的には、数日ベッドに引き篭もって消息不明って心配される程度の酷な話だと思うけど」
「酷じゃないよぉ〜。 だって、この話の主人公は私だよ? 小説とかドラマの中の世界を実際に経験してるんだよ?」


この子の趣味は小説を読み漁ること、と自分で言っていた。 最近のお勧めの書物は、源氏物語だという。 聞くに、大学は文学部の日本文学。 そのうち感動したとき「いとあわれなりい」と言い出しかねない子である。 聞いてみたくなくもない。


「それスゴイ楽観的な考え方だけど、良い心の持ちようだとは思う」
「でしょぉ! ポジティブなのが一番いいよぉ!」


少し前に、この子とスカイツリーに遊びに行ったとき、ふと呟いていたことを思い出した。

― 最近、子供心を無くして困ってるの。
― 子供心?笑
― そう。鉛筆が転がるだけでも腹抱えて笑い転げてた童心、幼子心。
― さっき変顔したら笑ったやん。
― あれはあれよ。もうあの頃の私はいないのよ。
― 時の経過は早いんだな…。


「今は悲しいことでも、年取ったときとか、例えば40歳とか振り返ったときにはいい思い出にもなりそうだよね」
「そう!自分の伝記めっちゃ面白く書けそうじゃない!?」


長年生きて、その形跡を残すために伝記を書いた人は何人か知っている。 福沢諭吉だって『福翁自傳』を書いて自分史を残している。 しかし、この子のように面白い自伝を書くために面白い現実を経験するという発想は確かに新鮮で興味深かった。 何事にも順番があって、ルールが存在しているはず。 その順番を辿ることで道を外さず、異端児にもならず、不安にもならない妥当な生活を送れるようになる。 脈々と続く信じて疑わない順番を入れ替えるのはとてもズルい。


「死ぬ前にその伝記読み直すと走馬灯のクオリティ上がりそうだね」
「超大作品作れそうでしょ! だから最近すっごい楽しいの!」


注文した食べ物はまだ来ない。 自分が頼んだ二杯目の生ビールも店員が忘れているのか届けられる様子もない。 そんな中、クリエイターでもない一人の女の子の考え方に衝撃を受けた。 この子は、大物になる。そう確信した。

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